現場一期一会(小泉編集委員が逝く)

小泉編集委員が逝く

映画「男はつらいよ」シリーズにとって今年はメモリアルイヤーでした。1969年夏に始まってから55年です。その年の秋には続編が公開されました。

その寅さんを愛した朝日新聞のベテラン記者が10月に他界しました。映画の記念イベントを取材してから1カ月半後でした。

記者は同期の小泉信一編集委員です。新聞販売店発行の読者向けコラムである小欄を2018年4月から2年間担当し、私が4年半前に引き継ぎました。

編集委員としての担当は「大衆文化・芸能」でした。社内では前例のない専門分野名で、本人も当初は「風俗担当」と名乗るつもりでした。でも、誤解されるかもと表現を変えたと笑っていました。

寅さんの舞台となった下町の義理人情の話題だけではありません。選挙の取材では居酒屋で酔客の声を拾いました。隠微な世界も軽妙に切り取りました。

8月下旬の夜です。珍しく本人が電話をかけてきました。末期がんで余命宣告されたこと、でも最近も取材に出たこと……。「病に負けてたまるかと記事を書き続けるんだ」。通話時間は11分31秒でした。

自称「絶滅危惧種記者」の最後の記事は他界した日の夕刊です。息を引き取った後に印刷された紙面でした。連載「小泉信一の昭和怪事件」で、半世紀前にあった北海道・屈くっ斜しゃ路ろ湖のクッシー騒動をとりあげました。英国ネス湖と重ねた結びの一節は、本人が抱き続けた思いに読めます。

「未知なるものへの夢とロマンは、世界共通なのだろう」

朝日新聞立川支局員 山浦 正敬