防災も減災も取り組みは始まったばかり
9月1日は65回目の「防災の日」でした。
国が制定したのは1960年で、朝日新聞夕刊が小さく「九月一日を『防災デー』」と報じています。
日付は関東大震災にちなみますが、制定のきっかけは前年の伊勢湾台風の大災害でした。近年は地震や津波、風水害に加え、酷暑までもが災害級です。
今夏、小中学校で防災を教える全国の先生に向けて、東日本大震災の被災地で長く取材した体験を紹介する機会がありました。
実際に被災を経験した後の防災教育は複雑です。
被災後の学校では、子どもの心理面への影響を考えて、過酷な実情をそのまま伝えるのを避けました。それでも「揺れたら高台へ」の避難訓練を続けます。
しかし、次第に震災後に生まれた世代が増え、戸惑いが出始めます。
「この訓練の大切さが理解できない」
宮城県気仙沼市の中学校では生徒からの指摘で、地域の大人から体験談を聞く取り組みを始めました。
一方、「今さら防災もない」と無力感を抱く中学教諭も南隣の南三陸町にはいました。町は13年半前の津波で壊滅状態でした。
津波常襲地は被災と再建を繰り返してきました。教諭は考え直します。「次に備え、再建の先頭に立つ大人になって欲しい」。地域を巻き込む実践的な訓練方法を考案しました。
「防災」という語が広辞苑に載ったのは1969年で、「減災」にいたっては2018年です。災害の歴史からみれば、防災は始まったばかり。その試行錯誤が続きます。
朝日新聞気仙沼支局長 山浦 正敬